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カーチャのロシア探訪記-その34-

 お久しぶりのカーチャです。今回はロシアの歴史、それも日本と関係深い『ロマノフ王朝』のお話をしたいと思います。

 『ロマノフ王朝』は、16世紀末のフョードル・ニキーチチ・ロマノフの代に台頭してリューリク朝後の動乱期を制し、その息子であるミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが1613年に推戴され初代ツァーリに即位し、第18代ニコライ2世がロシア革命で廃位させられる1917年まで続きました。

 この中で有名なのが、専制君主として君臨した、ピョートル1世(ピョートル大帝)。この時代に西洋化・近代化を進めてヨーロッパの列強に加わり、その後勢力を拡大してヨーロッパから沿海州までを支配しました。
 
 また女帝として有名なのが、その後宮廷革命でドイツ人のエカチェリーナ2世。この過程でロマノフ家にはドイツ系の血が濃厚となったのはいうまでもありません。この女帝に日本人で面会した人物が、1783年、伊勢国白子(現鈴鹿市)の船頭である大黒屋光太夫でした。
 江戸への航海途中に漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。その後ロシア人に助けられ、シベリアの首府イルクーツクに滞在しました。ここで学者のキリル・ラックスマンの援助で、帰国請願のためサンクトペテルブルクに向かい、1791年、エカチェリーナ女帝に拝謁して、帰国の儀を聞き届けられています。キリルの次男アダム・ラックスマンが、鎖国状態の日本に対して漂流民を返還する目的での遣日使節として日本に派遣され、1792年、光太夫らは無事、根室に帰着したのでした。

 そして、日本にきたこともあるロシア最後の皇帝が、ニコライ2世です。日本には皇太子時代の1891年4月27日、シベリア鉄道の起工式に参列する途中、ロシア軍艦のアゾフ号で長崎に来航しました。長崎への公式上陸は5月4日とされていましたが、翌日より何度もお忍びで下船し、九州の長崎と鹿児島に立ち寄った後、神戸を経て京都などを観光していたようです。

 日本は政府を挙げてニコライの訪日を接待しましたが、5月11日に琵琶湖遊覧から京都に戻る際、滋賀県大津において、「ニコライが日本国内をスパイをしに来た」と誤解した警備の巡査津田三蔵が、人力車に乗って通過するニコライを襲撃して傷を負わせた事件が、有名な大津事件です。

 その後、ロシア革命がおき、皇帝一家はエカチェリンブルグに移送され、ボリシェヴェキによって銃殺されてしまいました。元皇帝一家の最後の状況については、「5番目の皇女」がいる、「皇帝一家は死んでいない」、など長年さまざまな噂が流れていました。末娘アナスタシア皇女を名乗る女性(アンナ・アンダーソンなど)がヨーロッパ各地に現れ、世間の話題をさらうこともありましたね。

 しかし、大津事件の際に残っていたシャツの血痕が、その後のDNA鑑定で、皇帝一家のものであることが確認されたのは、皮肉なことですね。


保安用品・保安機材販売、リース/ポストフレックス製造、販売の保安道路企画㈱
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